邦画で「いぬやしき」、アニメで「ガンダム オリジン」洋画では「パシフィック・リム・アップライジング」や「レディ・プレイヤー1」とロボットが活躍する映画が続々公開されています。
映像技術の進歩により、ド迫力かつ見ごたえのあるアクションや演出が出来るようになり、年齢、性別関係なくロボット映画は面白くなっていると思われます。
しかし「ロボット=アクション」という図式はありません。昨今、ロボットに関する映画と言うとこの手の物が増えていますが、アクションや迫力がなくても面白いものはあります。
今回は個人的にボロ泣きしたおススメ映画「アンドリューNDR114」について、書いてきます。
あらすじ
あまり遠くない未来、リチャード・マーフィンは人型家事ロボット「NDR114」を購入。「アンドリュー」と名付けられたロボットは歓迎されるも、反感を持った長女アマンダのイタズラにより、窓から飛び降りて半壊します。
リチャードはアンドリューに対し、「家族のように人間として扱うこと」を約束します。
家族もアンドリューに慣れてきたある日、アンドリューが次女アマンダの宝物であるガラスの馬を誤って壊してしまいます。悲しむアマンダに、アンドリューは自ら作成した木彫りの馬をプレゼントし、彼女と仲直りをします。
そしてリチャードはその木彫りの馬を見て、アンドリューの独創性に注目し、彼に感情やジョーク、勉強についてなどあらゆることを学ばせていきます。
やがて月日は流れ、皆が年を取っていく中、アンドリューは「自由」にあこがれを抱き始め・・・
概要
1999年にアメリカで公開されたSF映画であり、原作はアイザック・アシモフの「バイセンテ二アル・マン」という短編集からです。日本語題名は「聖者の行進」
「ロボットと人間の境界線」がテーマとなり、主人公となるアンドリューの一生が描かれます。
全体を通して、人間とロボットの違いを浮き彫りにしていました。感情や表情、お金の使い道、そして「自由」と「権利」・・・人間らしく生きることについて考えさせられる内容となっていました。
メイン登場人物
・アンドリュー 「お役に立てれば幸いです」
本作の主人公で、マーフィン家にやって来た家事手伝いアンドロイド。
家に来た当初はただのアンドロイドですが、最初の長女のイタズラの件から自我が芽生え、それを気に独創性や感情といった人間らしさを学んでいきます。
年月が経つにつれ人間味が出てきます。感情の芽生え、それを表すために表情に変化が付く、言葉使い、自ら決断する、性行為への憧れなど、数え上げるときりがないくらいです。
それを得たことにより、長い月日の中で成長、同じ仲間を探す旅、大切な人達との別れなどが、人間との違いを浮き彫りにしていることは印象的でした。
私が印象深かったのは、やはり物語の中で外見、内面ともに人間味を増していくこと。どんどん人について学んでいくのですが、途中から自ら求めていくことに衝撃を感じました。個人的には表情のアップデートを求めた瞬間、もう人間並みの感情持っているんじゃないかな?と思いました。
また後半では人間に近づくだけでなく、大切な人との別れに抗うために寿命を延ばす方法を考案しますが、「永遠」を肯定しているような発言・・・というよりも自分がロボットであることを抜け出せないからこその考えが気になりました。人によっては羨望になりそうだけど・・・。
ロビン・ウィリアムズさんが演じるのですが、この上なく素晴らしい演技です。なんで亡くなってしまったんだ・・・。
・リチャード・マーティン 「時が経てば人は変わってゆく。いつまでも同じではいられない」
マーティン家の大黒柱で、アンドリューの特別性を見抜き、成長するきっかけを作った人。
序盤からアンドリューに教えようとする姿勢が見れます。アンドリューへの教育は、彼の賜物です。唯一、アメリカンジョークはどこで笑ったらいいかはわからなかったけど。
全体的に父性が強い人物で、父親だからこそ考えてしまう寂しさは、哀愁が漂っていて涙を誘います。
娘の結婚式後とか、死ぬ間際のアンドリューとのやりとりなど、アンドリューに対しても父親的な要素が垣間見えます。
・アマンダ・マーティン 「彼は自分で決断したのよ」
マーティン家の次女。
ガラスの馬の一件からアンドリューを慕うようになり、彼からは「リトル・ミス」の愛称で呼ばれます。
アンドリューに自由を求めさせるきっかけを作ったり、彼用の口座を開くことを提案したりなど、ある意味父親以上に彼を人間として認めていたような気がします。
彼女との別れが、アンドリューに寿命を延ばす方法を考えさせた原因でもあるので、アンドリューの何かしらの決心には大きな影響力を与えていた人物と言えるでしょう。
・ポーシャ・チャーニー 「たまには間違ったこともしてみたら!?」
アマンダの孫娘で、後半のメインヒロイン。
より人間へと近づいたアンドリューに最初は不信感を抱いたようですが、彼の人柄を知り、打ち解けていきます。
彼女との出会いと存在が、アンドリューが感情の抽象的な面を深めることとなり、最終的には・・・。
ところで女優のエンベス・デイヴィッツさんは、アマンダとポーシャの両方を演じます。結果的に、ほぼ出ずっぱりな形になっていました。おかげでアンドリューとの出会いのやりとりはクスッとくるものになったけど。
・ルパート・バーンズ 「欠点が個性になる」
アンドリューが旅の途中で出会ったアンドロイドの研究者。見た目をロボットにする研究をしていましたが、その研究資金をアンドリューが出してからは、彼とも長い付き合いになっていきます。
アンドリューを外面的にも内面的にも、もっともロボットに近づけたのは、間違いなく彼です。ただの協力者ではなく、友人としてアンドリューと付き合っていたように見えるのが好感を持てます。私的には、人が好いマッドサイエンティスト。
何気に印象的なのは、後半で彼とアンドリューが性行為についての話をしている時。不思議な会話ですが、彼のラストの一言で思わず「お、おう・・・」となりました。気になる人は本編で。
・ガラテア 「知能が高いより個性がある方がずっと面白いのに」
アンドリューと同じNDR型の女性アンドロイド。アンドリュー同様に自我、自己があるように見えますが、実際は性格プログラムによるものです。
なかなか自由な性格で、天真爛漫な印象を持ちますが、アンドリューに性格プログラムを勝手に入れ替えられた時を見ると、やっぱり彼とは違うんだろうなと思ってしまいます。だからこそ、アンドリューの存在がより光るわけですが。
また作中では、彼女が物語を締める存在でもあります。その言葉は、どこまでも胸に突き刺さるものでした。
人間とロボットという存在
この作品では、アンドリューのロボットという存在と彼が愛する人々を含めた人間の違いが、様々な場面で描かれています。
人間であることを決めるにあたって、何を重視するべきでしょうか?見た目、身体の機能、感情、愛情、自我・・・挙げだしたらきりがありません。完全な定義をしようとすれば、倫理や社会などといった多くの障害がありますし、ここの考えに違いがあるのは当然なので決まることもないでしょう。
この存在の違いについて、深く考えさせてくれる内容となっています。この手の問題を考える場合は、「フランケンシュタイン」を読むのもいいかもしれません。
この深い内容についてここで議論はしませんが、この映画に限った事なら私は、「アンドリューという存在がただ人間らしく生きた」ことは揺るぎない事実であると思います。
自らがやれることを全力で行い、アイデンティティと呼べるものを持ちながら、決断していたことこそがその証明と言えるでしょう。
うーん、書いているとかなり抽象的な内容になってしまいましたね。
しかしこの作品、本当におススメできます。単純な娯楽作品で終わらず、不思議な温かさを抱かせてくれる内容となっています。
単純な迫力重視のロボットものなんかに飽きた人は、特に見て欲しいですね。
アシモフ氏のSF作品は本当に面白く、個人的にはおススメしたいものがかなりあります。まずは短編集の「われはロボット」辺りが良いですかね。氏の有名な「ロボット工学三原則」についても学べますし。・・・ロボットが人を傷つけるという面では、こっちを書いた方が良かったかも。
氏の推理小説については、一度レビューを書いているのでよろしければどうぞ。